1983年      

 1983年の、北海道ツーリングレポートです。制作しているのが、2008年ですから、25年前のものになります。よくまあこんなに行ったものだとつくづく実感しています。この原動力は、お世話になったライダーのみな様方のおかげです。本当にありがとうございます。
 ところで、1981年、82年、85年の写真が見あたらないんですー。小生、83年学生でした。84年4月に社会人となりました。転居やその他もろもろで、この頃、管理整頓ができていなかったようです。80年代には、その後何回か転居しています。
 うーーん残念です。でもどこからか出てこないかな。田舎の実家にはこの頃のオートバイ誌や、楽譜が入ったダンボールがいくらかあります。その他なんでもいいから出てきてーー。出てきたらすぐにアップします。(願いもこめて)


この頃は、高速ではなく、4号線、陸中海岸を走って北上していました。
十和田湖にてです。 今はなき、大間崎YHです。 海の向こうは函館です。
 東北観光も兼ねて走っていました。
十和田湖良かったです。
また行きたいです。
 大間崎YHです。
何回かお世話になりました。
本州の最北端です。


走りまわって、ガイドブックに載っている場所ばかりを見学していた時期です。
それにしても、時計台には大感動です。ううーーん、プロカメラマンはすごいんだなー、と実感した次第です。
大沼公園です。 洞爺湖へきたぞーーの場所です。 これが時計台??、ガイドブック美しすぎです。


いろいろと行きました。
大雪山観光道路の銀泉台です。 某ローカル駅です。 知床五湖、結構な沼でした。


この頃の小生は、北海道では、ローカル駅、無人駅、バス停等で宿泊(?)するのが結構多かったです。
現在ではお勧めできません。時代精神が違いすぎます。今ではやめてください。
YHでもぼちぼち宿泊していました。


確か大間崎のフェリーターミナルだと思います。 襟裳岬です。


幸福駅です。 阿寒湖畔です。


美幌峠です。 美幌峠です。
 


銀河の滝です。 昭和新山です。
 


開陽台です。




ローカル駅物語
その一    ほっかほか・ジャガイモ物語
 この前の、1982年でした。夕方ローカル駅に行きました。同じようなライダーさんが数名います。自分はさっそく、ホカ弁とビールで早めの夕食です。そして終電(かなり早い時間です)が行くのを待ちます。行ったら、ライダーさん同士で、乾き物で宴会が始まります。後は酔った人からお休みです。(ベンチでのシュラフ姿は、イモムシがごろごろしているようでした。)
 ところが、この日は駅長さん(といっっても、1人だけの駅員さんですが)が、ライダーの皆さん一緒に食べませんか、ということで、駅長室に案内されました。そうしたら、ナベいっぱいのほっかほかのジャガイモが出てきました。塩をぶっかけただけだったんですけど、ものすごくおいしかったです。感謝です。そうしたら、駅長さんの、昔話が始まりました。昭和40年代はーーとか、今ローカル線は廃止の危機にあるとかーー。とにかくの熱弁でした。ジャガイモとともに、この話は、いように記憶に残っています。

その二   ホッケ3匹物語
 この年の某ローカル駅にてです。偶然集まったライダー3人と、ローカル駅宿泊です。終電行くのを待ちます。行ったら、乾き物宴会です。ところが、ここの駅長さん、ライダーのみなさん一杯やりましょう、ということでまた駅長室に呼ばれました。そうしたら、なんと焼きたてのホッケが3匹出てくるではありませんかーー。ええーーうそー本当ーー。
 駅長さん、ライダーが3人いることがわかっていて用意していてくれたんです。何しろ、電車と電車の間隔が1時間以上もある土地柄ですのでやっていたんだと思います。他にも、トウモロコシ、ジャガバタなどが出てきました。本当にありがとうございました。
 数年来、お礼したいなーーと思っていたんですけど、できませんでした。でも、この駅長さん、前年の駅長さんと同じ話をするんですよねーー。小生も含めてライダーさん、うなずきながら聞いていたのが唯一のお礼かなと思っている今日この頃です。


1983年8月8日開陽台にてです。 いつもの知床峠です。快晴です。 乙女の涙にてです。



番外編

1984年

田舎(群馬県)の実家にてです。 群馬県妙義山にてです。 中央左はしが小生です。

 1984年のGSX750Eです。1年かけて、12回目で限定解除しました。うれしかったです。どどどーとお尻を突き上げる様なトルク感が印象でした。北海道でも、あの狩勝峠を異様な加速感で登っていったのを覚えています。
 当時の写真でてきてーー(願いもこめて)