エピソード集
「からまつの湯」閉鎖危機物語
2022年1月23日
根室管内中標津町養老牛の国有林内にある露天風呂「からまつの湯」で昨年11月、入浴に訪れた利用者が誤って高温の湯船に落ちて、やけどを負い、その後しばらくして死亡する事故があったことが分かった。からまつの湯は設置者や管理者がはっきりせず、土地所有者の国も設置を認めたわけでない。周辺の国有林を管理する同局根釧東部森林管理署は湯への立ち入りを禁止し、施設閉鎖も含め検討しているという。
「からまつの湯」存続誓願!!!
2021年末に、高温の湯船に落ち、死亡する事故が発生した。死亡事故関係者には心からお悔やみ申し上げます。
その結果、周辺の国有林を管理する同局根釧東部森林管理署は湯への立ち入りを禁止し、施設閉鎖も含め検討しており、同管理署は入り口に立ち入り禁止の看板を設けた。愛好者は対応に苦慮しているという。同管理署の松本康裕署長は「安全面などを含めて適切に管理できる団体などが出てきた場合は、国有林貸し付けの手続きを経て施設存続を検討できる」とし、地域の愛好者グループにもこの方針を伝えた。松本署長は「管理者が現れない場合、閉鎖を含めて検討せざるを得ない」と話しているという。
小生にできることを発信します。「からまつの湯」存続誓願です。
賛同できる皆様方、発信をお願いします。2022年1月23日
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2021年8月のからまつの湯のようすです。
「とほ宿ヌシ」・出没注意物語
小生は、とほ宿歴約30年になります。ヘルパーも体験させていただいた宿もあります。どこのオーナーさんも、個性豊かで、思いやりあふれる方ばかりです。本州でもよくお世話になっています。ところがですーー。今回はいやな思いを頂きました。
「とほ宿ヌシ」・出没注意!!!
昔、ライダーハウスにいた「ヌシ」のような方が、とほ宿に出没しました。豊富な、とほ宿経験をもとに、話を推し進めます。
その態度は、「腰が高い」「横柄」「威圧的」です。自分の価値観を押しつけてきます。
口論(ケンカ)してもいいのですが、オーナーさんが困るので、小生はひきます。そういう、ヌシとは、空間を同じにしないことです。
北海道大好き話をしていたら、「同じ話ばかりするんじゃないよー」と(かなり横柄、威圧的に)言ってきました。
と思いきやーー オーナーまで一緒になり、価値観を押しつけてきたのです。問題はオーナーまでにあります。
しばらくキョトンとしてしまい、もうあんぐりーーでした。あとになり、じわじわと「なんじゃこりゃー」の心境となりました。
まあまいりましたー。この歳になってもいい経験です。ブルーな気持ちになりました。かなりの希少価値的な事例かもしれませんが、皆さんのご参考になればと思い、発信します。
小生の目的は、楽しい旅、ツーリングをしましょうー、です。でも、いやな思いは、こりごりですねーー。
小生はそれ以来、安心して話せる「とほ宿」で、少しはバリアーをかけて話をするようにしています。30年目で初めてです。でも、とほ宿は大好きです。もうないことを祈ります。
SNS発信するとご意見が寄せられました。
〇自分も人から、*を勧められて行きましたが、排気量マウントの常連がいて、それから*には行かなくなりました。(排気量マウントとは、大バイクの人が、小バイクの人をバカにすることを言います。)
〇*も変な横柄な常連がいて、体調が悪く咳き込みながら夕食、飲み会に参加しているので、コロナが怖くなり、飲み会には参加していません。もう次回の宿泊はないです。
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パンク物語
レッドバロンのツーリングロードサービスに感謝!
2019年8月4日
いやーーまいりましたーー。開陽台へ帰路の途中、DFがパンクです。見事にクギが刺さっています。さっそく、レッドバロンのツーリングロードサービスにTELしました。そうしたら、なんと約40分でレッカー車が到着しました。えーーーうそーーーほんとーーー!?。
ここは北海道・道東の平原で、関東近郊ではありませんよ!?。その後、すぐに釧路のレッドバロンへ搬送してもらい修理してもらいました。チューブは交換してください、と注文したところ、在庫があり交換です。在庫も豊富のようで、良かったです。
まあ、なんという迅速さでしょうか?。これで、レッカー移動費用が無料です。(修理費は実費)まったく、レッドバロンのツーリングロードサービスに感謝です!ありがとうございました。 |
道東のR272号線で、パンクです。 |
見事にクギが刺さっています。 |
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釧路のレッドバロンに到着です。 |
スピーディーな作業です。 |
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番外編(本州でのツーリングロードサービスです。)
約40分で到着。 |
丁寧迅速な対応です。 |
これで店まで無料です。 |
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左右立ちごけ物語
2017年8月
70歳近いライダーさんです。北海道に来てから、左右に立ちごけして、つべこべいろいろあったそうですーー。同僚でエンジニア技師の方がいらっしゃったそうで、写真で見ての通りで、応急処置です。まだ、北海道ツーリングを続けるそうです。拍手!!。がんばってくださいーー。 |
ホームセンターのボルトでステップ!!。 |
針金で応急処置!!。 |
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遭難物語
2017年8月
利尻岳登山、沓形コースでお世話になりました「コンブバイト」さんです。現在、利尻島で、コンブのバイトをしているそうです。数年前に、南アルプスの甲斐駒ヶ岳登山にて、かなりの旧道登山を試みたら、遭難してしまったそうです。丸3日、夜露をしのぎ、沢の水を飲んで耐えたそうです。無事に自力にて、下山できたそうですが、生命の危機を感じたそうです。安全登山祈願!!皆さんも気をつけたいですねーー。 |
沓形コースからの、礼文島。 |
三眺山からの利尻山。 |
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2012年度
「ホクレンフラッグin北海道フォトコンテスト」
「北海道の道」「北海道の農業」佳作
2年連続で入賞です。うれしいですーー。なんと蝦夷オオカミのフラッグ2本です。これを持って写真を撮りまくるぞーー。
「ホクレンフラッグin北海道フォトコンテスト」
「自然・動物」部門 グランプリ 物語
2011年
えーーうそーーほんとーー
この歳になり感動できるとは思いませんでした。こちらをご覧下さい。
開陽台閉鎖物語
2010年
参りました。くまさんには勝てません。来年はどうなんでしょうかー。
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キャンプサイトは使用中止です。
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うーーん、だれもいません。
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高橋農園・雑誌掲載物語
2010年
1980年代からお世話になっている、富良野市の高橋農園さんです。「北海道ツーリングGO!GO!ガイドシリーズ」(三栄書房)に掲載されました。小生の「おいしい食」も参照してください。
ところで、看板娘さん、2009年に結婚されて、もうすぐおめでただそうですー。おめでとうございますーー。いつもお世話になっている、おやじさんはいよいよ、おじいさんです。来年お子さんの写真が掲載できたらうれしいなーー。 |
北海道の雑誌です。 |
P25の上部にあります。 |
看板娘さんです。 |
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2009年の小生のスナップ。 |
富良野市、南のR38、この看板です。 |
とにかくおいしい!。 |
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爆発物語
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1990年
8月15日
この年も、いつものようにライダーが集まり、宴会が始まりました。宴たけなわです。踊っているライダーもいます。アルコールも満タン・・・・・しかし、悲劇はこの数分後に発生しました。
最大の被害者は、右の赤トレーナーの、パンツライダーさん、主人公は、中央のギャルライダーさん。
著者は左下、左上は、XLRBAJAさん。
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ギャルライダー 「このカセットボンベ、どうやって付けるのー」
えーと、、あれ、この青のガスボンベ、ネジがないねー
EPIやイワタニのはネジがあり、回すだけで付けられますが、当時の青のメーカーのは底と上辺をはさみ、上部に穴をあけるシステムとなっています。
だから垂直に刺さなくてはならず、テクニックが必要です。
これはこうやるんだよーー(説明) ーーギャルライダー 「それなら私がやってみるーー」
しばらくしてーー・・ しゅーーしゅーー という不気味な音が発生。まわりがガス臭くなる。
大変だ!!、ガスが漏れている、火を消せ!!
私はすぐに、ランタンを消しました。まわりのライダーも手際よく、コンロを消したりで、いっきに暗くなりました。
これで安心と思いきやーーーあれ、ろうそくが1本、火がついているーー
次の瞬間でした。ぼわーーんと5m四方の草むらから炎があがりました。
暗かった開陽台が、いっきに明るくなりました。
まあ明るくなったものです。
次にまた、異様な臭いがただよってきました。パンツライダーの、すね毛がこげている臭いです。
もう、ぶきみきわまりない悪臭でした。
また、こげたすね毛が皮膚にへばりつき、動くと痛いようです。「痛いよーーたまんねーよーー」
他にも、ジャケットが熱で縮んでしまった人もいました。皆さんくれぐれも気を付けましょう。
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その2・爆発物物語
当時、東京発苫小牧行きの、東日本フェリーにてです。
フェリーに爆弾がしかけられたとの脅迫事件です。
足止めをくい、たまったものじゃありませんでした。
機動隊がフェリーの中に入っていきます。
ところで、いわきのパトカーさん、かなりローカルですねーー。
ツーリング等レポート1991年を参照してください。
2009年
クマとの遭遇物語
登り、五合目から一緒の「ホンダ軽」さん。 |
雄阿寒岳山頂にて。 |
1人だと勇気いります。 |
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雄阿寒岳登山で、5合目からご一緒させて頂いた、ホンダの軽自動車に乗る、ホンダ軽さんです。札幌在住です。数年前に、札幌の近くの、神威岳登山の下山の最中にクマさんと遭遇したそうです。
下山していると、ホンダ軽さん、30m先にクマさん発見・・・!!思わず身震いで、髪の毛がさかだったそうです。・・・しばらくして・・・・・・・・クマさんも、ホンダ軽さん発見・・・・・・・・・!!・・・・・・・思わず、目と目が合ってしまったそうです。・・・・・・・・・・・・・・・体がこわばり、威嚇しないように鈴をじわじわ鳴らしたそうです。・・・・・・・・・・・・・そうしたらクマさん、立ち去ってくれたそうです。(なーんとーお行儀のよいクマで良かったーー)
家族の顔も瞬時に浮かんだそうです。まあ今聞けば笑い話ですが、無事でなによりです。100名山はいいんですけどーマイナーな山はやはり恐いですね。登山の時は複数名でボディーガード(?)と一緒に登るようにしましょう。 |
2008年
激突物語
「私、シカと激突したんですー」
話を聞いたのは、「かみふらの道楽館」・・(ツーリングレポート・2008を参照してください。)
北海道北見市に在住のフェザーさん、大のバイク好きのようです。
冬前には一番遅くまでバイクに乗っていて、春先には一番に乗り始めるそうです。
とある日、がらがらの国道を走っていると、横からガバーといきなりシカが飛び出してきたそうです。
よける間もなく、シカと激突、シカはほぼ即死とのことでした。
(即死したシカはそのままにしておいたそうです。)
素人考えでは、毛皮など売れそうに思うのですがー、修理代に充てられそうですがー。
フェザーも動かなくなり、レッドバロンのツーリングロードサービスで運んでもらったとのことです。
それ以来、郊外ではスピード出せなくなった、と話していました。
ううーーん、最近かなり国道でも見かけるようになりました。皆さんも注意しましょう。
撤退物語
ガンバレーガンバレーと応援していたのですがー。残念です。
さんざお世話になったフェリーです。ありがとうございました。
平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
弊社では国際フェリー事業(金沢〜釜山航路)に関しまして、
平成20年10月29日金沢発便をもちまして休止と致しました。
また、国内フェリー事業に関しまして、平成20年11月30日をもちまして全航路を廃止と致しました。
これまで皆様より頂戴したご厚誼・ご厚情に対し衷心より厚く御礼を申し上げます。
なお、当社グループ会社である 道南自動車フェリー株式会社 にて、
平成20年12月1日より函館〜青森航路の増便運航及び函館〜大間航路の新規運航を致しますので、
何卒ご利用賜りますよう併せてお願い申し上げます。
東日本フェリー株式会社
<お問い合わせ先>
東日本フェリー株式会社、 北海道函館市港町3丁目19−2、 電話:0138−62−3554
東京・釧路間のフェリーもいつしか廃航となるし、ホクレンさんも以下の通りです。
北海道ガンバレー、応援しています。
ホクレン旗物語
2011年
やりました!!!。
えーーうそーーほんとーー、やりました!。12月始めに入賞のメールが届いたので、やったー、佳作のバンダナをゲット、と思っていたら、29日に何とグランプリのお知らせでした。50過ぎると感動はあまり無いのですがー、久しぶりの大感動ですー。 |
ホンダのタンデムバックです。 |
後部座席に乗れる設計です。 |
ZIppoのライターまで届きました。 |
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小生の作品です。
「こんにちは!ライダーさん」
2012年2月15日
今日、ホクレンのHPで発表を知りました。グランプリ、優秀賞受賞です。
まさかの2作品受賞です。えーーうそーーほんとーー・今年も頑張りますーー。
右の「羅臼岳山頂」が小生の作品です。
右の「こんにちは!ライダーさん」が小生の作品です。
2010年〜
2010年は、9本ゲットでした。おもしろいのがあったらアップします。2011年は4色揃いました。
2009年
今年は、1本100円にて購入できました。例外もあるようですが、よかったです。小生、昨年はさんざ「実費でもいいから販売してくださいー」と給油したホクレンさんに言っていました。他のライダーも結構言っていたようです。ホクレンさんありがとう。 |
1本100円、やりました。 |
今年のゲット数は14本。 |
現役で、結構ボロボロになりました。 |
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他の人から見れば、ほとんど病気なんでしょうねーー。でも好きなんですから勘弁してください。下写真右3色が今年のホクレンさんのオリジナル旗です。青、オレンジ、緑の3色です。青は、GPZさんから頂きました。上中央写真の左から3列目の、赤、ピンク、青がJA別海町ホクレンさんのオリジナル旗です。募金でもらえました。上右の2008年の青旗、今年は付けて走っていました。下写真の左2列目のようにボロボロです。でもまだ使用しますよ。もちろん本州でもです。
1番左の、2007年ホクレン旗のみと、ゆっくり走ろう北海道は拾った(!?)ものです。よく落ちているんですよねー。チャリダーの方も言っています。 |
2008年
「今年は、旗ないんですーー。」
ホクレンスタンドの店員さんに言われてしまいました。 それならスタンプ押してもらって応募しようーー。当てようー。
2008年10月31日、旗が当選して届きました。感動の一瞬です。
2008年10月31日届きました。感動です。 |
今までの旗、部屋に飾ってあります。 |
あっちこっちにあります。(職場にも) |
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本州ツーリングでもこんなかんじです。
こまった病気ですーーー。
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2007年までは、給油すればもらえたホクレン旗、2008年はもらえませんでしたー。
うーーん寂しいですー。でも、やっぱり、やっぱりですかー。
景気には勝てません、お疲れ様でした。とにかくこれからも頑張ってーー。ガンバー!!
スタンプ集めて応募しました。旗がほしいーーーーーーーー。
友人のGPZさん、ライターなど、結構当たっています。
上、右、1998年旗(シカのイラスト)などボロボロです。よくまあ走りました。
その昔、ビニール素材だけだったので、かっとんで、振り返ると、三角ぶっちぎれて、棒だけになっていたんですねー。ホクレンさん、工夫して、素材を丈夫にしてくれました。たぶんライダーの意見を聞いてくれたんだと思います。
当選した2008年旗、大切に飾っておきます。
ホクレンさんいつもありがとうございます。これからもライダーに活気つけてください。
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ホクレン旗への執念
2008年は旗もらえないんですよーー。
仙人さん、なんであるのーー。
テントのまわりに、黄旗、赤旗、緑旗。 |
「旗がないと気分のらないでしょうー」 |
小生も、タープポールの上に赤旗(2005年) |
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仙人さん、わざわざ持参しての旗設置です。うーーん負けました。小生も来年、数本持っていって、旗たてましょうか。
(でも、もったいないーー、部屋に飾っておこうかなー)
小生のホクレン旗への思い入れ
今あるのを並べてみました。(2008年11月現在)
左から、1996年〜右2008年まで、合計41本です。(ホンダさんのもあります。)
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左の旗は、1996年のホクレン旗です。持参している、一番古い2本のうちの1本です。2本ともややいたんでいます。結構旗たててかっとんでいましたから。
その昔、ホクレン旗は、ビニールだけの素材でできていました。だから、かっとんで振り返ると、棒だけになっていたこともしょっちゅうありました。だからホクレンさん、丈夫に改良してくれたんですねー。ありがとうございます。
と言っても、結構かっとぶと、表面のビニールはがれて、素地だけになります。棒だけになったり、テントのまわりに立てたりで、汚れると捨てていました。今思うと、非常に残念です。(棒だけでも、とっておけばよかったーーー)
今年になり、なにか、応募して当選しなければもらえなくなったということで、希少価値観を感じるようになりました。自宅や、職場の自分部屋にかざり、「♪もーいくつねるとーーほっかいどーー」と楽しんでいます。(こまった病気ですーー。)
ホクレンさん、20Lで1本でもいいです。確実にもらえるようにしてもらえませんかー。
(願いもこめてー。) |
いろんな色があるのは、道南、道東等、地区で色分けしていたり、8月上旬、中旬等で時期で色分けしていたりしていたからです。
北海道帰りの、東北道でホクレン旗くださいー、というライダーがいて、プレゼントしたこともありました。
サンマ物語
みなさんでサンマ食べましょうーー。某ライダーが、サンマを12匹くらい持ってきました。
本当にいいんですかー。「ええいいですよ、1匹10円ですからー」・・・ええー10円ですかー。
現在は、東京在住で東京の会社に勤めているこのライダーさん、出身が標津町とのことです。
近くの漁港で、網で傷ついたり、頭のとれた商品にならないサンマが、1匹10円とのことです。
・・・市場であるそうです。
それにしても、それにしてもーーです。これが日本ですかー。
朝とれたてのサンマはとてもおいしかったです。
頭なし、傷あり、全然関係ありませんでした。(あたりまえですが)
キタキツネ物語
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1987年8月
我が愛車(CBX750)に近づいてきたキタキツネです。
観光ギャルがよく言います。キタキツネを見ちゃったーー。
なーーーんて、かわいいーんでしょーーねーー。
北海道、どこへ行っても、キツネはいるわい。エゾジカも、目の前を横切ったぞ。あとは熊さんだけだ。
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キタキツネ物語・その1
開陽台にテントを張りっぱなしで、ツーリングに出かけます。持ち物は雨カッパくらいです。
帰りには中標津のスーパーで買い物です。その日はタレつき焼き肉用のパックを買いました。
荷台にカッパと一緒にくくりつけ帰りました。 帰ったらすくに調理にかかります。
流しで野菜を切り戻ってみると、あれーーここに置いてたカッパの袋がないーーどうしたのかなー、
誰かしりませんかーー
隣のライダー「その袋は、さっきキツネがくわえてもってったよーー」 なんと、たれがシミだし、カッパの袋につき、それをキツネがくわえて持って行ったのです。
「このやろーーーーー」次に出てきた時には、ヘルメットでぶったたいてやるからなーー覚えておけーー。 キタキツネ物語・その2
「きゃーたすけてーー」ギャルライダーの声が聞こえます。
数人が行ってみると、足跡の音にびびったのか、
テントの中からキタキツネが出てきて、あわてて逃げて行きました。
話を聞くと、なんと、テントを食い破り、中の食料をあさっていたとの事です。
かわいそうにテントはガムテープで補修です。
ギャルライダーもかんかんでした。
最近は、キツネも出なくなってきました。
反面、小さいネズミが出没するようになり(2000年頃)ネズミ被害の方が心配されます。
皆さん、くれぐれも気を付けましょう。
番外編(本州のもあります。)
RED BARON ロードサービス物語
小生、1988年2月にFZR1000を、REDBARONより購入しました。リッターバイクのパワーに憧れていたからです。当時、逆輸入車も100万円を切る時代となっていました。オートバイ誌などで調べて、一番安かったREDBARONで購入しました。 |
その1・赤城山物語(群馬県)
1988年5月、慣らしを丁寧にやって、いよいよ赤城北面をカットぼうと思って、赤城山へ行きました。ところが途中で故障です。(後で、ジェネレーターと判明、当時、FJ等でもあったようです。)降りれるところまで降りてきて、高崎市の、レッドバロンに引き取りにきてもらいました。保証期間中だったので、引き取り、修理代等すべて無料でした。数日後に、購入店から渡された時には、結構感動しました。
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その後、FZRは約10年間、約6万km故障知らずで走ってくれました。(教訓、故障は忘れた頃にやってくる。)
その2・本宮山スカイライン物語(愛知県)
1998年のツーリングでした。愛知県でかっとんでいたら、ぷすぷすーーとバイクが止まってしまいました。何やっても動かないので、レッドバロンの
ロードサービスにお願いしました。店員さんが軽トラで来て、板を荷台から路面へ斜めに渡します。結構いい角度です。店員さん、FZRを押しながら乗せようとします。友人達が、「お手伝いしましょうか。」と言うと、店員さん「危険ですので離れていてください」と言いました。そして、すすすーと走って、きれいに荷台に押し上げました。まわりで見ていたライダーあんぐりです。「さすがプロだー。」その後もみごとなロープさばきで、「なるべくバイクに傷つけないように縛ります。」まったく、レッドバロンのロードサービスの手際の良さには驚かされました。
その後、小生、「ライダーのみなさんゴメンナサイーー面倒かけましたーー。」・・・・・帰りは、ジャージ買って下はブーツを覆い、大きい袋購入で、つなぎメット等を入れます。新幹線で帰りましたが、もうほとんど不審者のカッコウでした。
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その3・御嶽山物語(岐阜県)
2001年11月です。御嶽山近辺の林道を走っていると、対向車が来ました。路肩へ避けると路面凍結していて、転倒してチェンジペダルが折れました。降りれるところまで降りてきて、レッドバロンへ連絡です。
「飛騨高山のレッドバロンです。1時間30分くらいで向かいます。」待っている時に左の写真です。そうしたら何と本当に来てくれたんですねー。感動しました。こんな山の中ですし一時はどうなるかと思いました。
帰りは、またまた不審者のカッコウでした。
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その4・廃車物語(静岡県)
2004年5月、恒例のツーリンングが終わり、1人帰路についていると、またFZR止まってしまいました。今度は沼津のレッドバロンにお世話になりました。全国どこでもすぐに来てくれるので本当に助かります。ところが店員さん「よく乗ってますね、これからは故障と付き合いながら乗って下さい。」・・・小生「!!?」
FZR、7万kmを過ぎたあたりから、オイル食うようになりました。カットばなければいいんですけど、東京・関西間を20*Km以上で巡航すると、半分行かないうちに、オイル警告灯が点灯するようになりました。店員さん「ピストンリングの摩耗です。オーバーホールして下さい。」また他にも、サスはへったってるし、修理したら○十万円はかかりそうです。前回は、燃料ポンプの故障でした。これだけ乗っていると、後は定期的に何かが故障するとのことでした。
自分1人だったらいいんですけど、他のライダーさんがいたらまた迷惑をかけるところでした。ここで思い切って乗り換える事を決断しました。
FZR1000には本当に感謝しています。もう涙が出てきました。
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レッドバロンのロードサービスには本当に感謝しています。ありがとうございます。
近年、いろんな会社で、二輪のロードサービスが始まっているようです。
ところが素人が来て、つべこべ等トラブルが発生しているようです。
あとは皆さん方で情報交換しましょう。教訓「明日は我が身」です。
バイクショップ・コーリ○物語
その1・コピー物語
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小生の小、中時代の幼なじみは、現在ホンダ二輪に勤務しています。1980年代に結婚しましたが、奥さんが、クシタニでデザイナーをしていました。左のつなぎはその奥さんがデザインしたものです。
当時、小生には、クシタニは高くて手がでなかったのですが。奥さんの紹介もあり、1988年に、ブーツとともに一式揃えました。そうしたら、なんと造りが丁寧なこと、フィット感がとても良かったのには驚かされました。また、飽きのこないデザインとともに、20年以上たった今でもしっかりと使用しています。それ以来結構クシタニ製品を使用するようになりました。
ところで、奥さんいわく「コーリ○、頭にきちゃうわよー、クシタニ製品などのコピー製品ばかり作っているじゃないのーー、私のもまねられたわよー」カンカンの形相です。
そこで、ある時に、クシタニや、南海等で連合で訴訟した事があったそうです。しかし、コーリ○さんの社長もたいした者で、先回りして待ち伏せしていて、コーリ○の勝訴にしたそうです。
東京上野のバイク街では、当時半分前後が、コーリ○の店舗だったような気がします。まあ安いのはいいことだと思いますが、上記のような内容もどうでしょうか。
まあでもこんな社長さんですから、話の続きができました。下の続きを読んでください。 |
その2・ビリビリ物語
1980年代から90年代にかけて、上野発函館行きの、「モトトレイン」がヒットしました。
これは、バイク車両2両と、40名の寝台車を夜行列車に連結して、
夜の11時に上野発で、次の日の昼に函館着のものでした。
夜の11時といっても積み込みもあり、8時くらいには上野駅へ行っていました。
そして裏口から入り、何と駅の構内をバイクをついて歩きました。
汗だっくだくで、一般のお客に極めてへんな目で見られたのを覚えています。
ここで一緒になったCBさん、サイドバックが新品です。
小生「オニューでいいですねーー」・・CBさん「先日、上野のコーリ○で買いました、結構安かったですよ。」
小生「コーリ○あぶないですよー」・・CBさん「???」
CBさん、ジャケットやその他をサイドバックにギュウギュウと詰め込みながら、
「一緒に買い出しに行きましょうーー。」
次の瞬間でした。・・・ビリビリ・・ビリビリ・・
サイドバックが裂ける音です。
サイドバックみごとに裂けて、中の物をガバーと構内に店を広げました。
CBさん、しばらくボーゼンとしてました。
しょうがないので、駅で簡易袋を買い、函館できちんとしたのを買うとのことでした。
その3・倒産物語
2008年11月の上野バイク街のようすです。この状態が何ヶ月も続いています。(2008年11月24日現在)
コーリ○さんの店舗あとです。結構、上野のバイク街すきなんです。かなりウインドウショッピングしまくった場所です。
ほかの店舗もあるんですけどーー。半減以下の状態です。こんなコーリ○さんでもなくなると寂しいですねーー。
組合の赤旗です。かなりカンカンのようです。 |
総額数千万円の賃金未払いだそうです。 |
栄枯盛衰、がらんがらんです。 |
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社長さん、店舗売り払ってどこかへ行ったようです。
どこへ行こうと自由だと思いますが、賃金は払ってください。
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